2017年3月8日水曜日

「ポスト・トゥルース」ー2

イギリスのオックスフォード大出版局は、2016年に「ポスト真実」を選んだことを紹介したあとで、評論家の宇波彰氏が新聞にこんなことを書いていた。要約してみると。

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「ポスト・トゥルース」は、イギリスのEU離脱に関して、マスコミが「真実」のみを追いかけて、「真実」よりも「感情」が重視される状況に気づかず、大衆の「感情」を軽視したということである。

これはアメリカの大統領選挙にかかわるマスコミの情報についてもあてはまるものであった。

マスメディアに限らず、何らかの集団が自分たちに不利な情報を受け入れない状況について、最近さまざまな考え方が示されつつある。
 
フランスの精神医学者デ思想家ジャック・ラカンは、
「主体の欲望は他者の欲望である」ということぱを残している。

これをわかりやすく言い換えると、
「私が欲しいものは、他人か欲しいものである」ということになる。

このことを少し次元を変えてみると、
「私の考えは他人の考えである」ということになる。

自分の意見と思っていることは、
実は誰かほかの人の意見であったり、テレビや新聞で知ったことである場合が多い。

われわれは自分が属している集団の意見を反復しているのである。

そのことを「集団思考」という概念で示したのが、アメリカの心理学者アーヴィングージヤニスであった。

もともとは政治・軍事などについての政府の意志決定について考えられたものである。

『リーダーズ英和辞典』によると、これには「集団順応思考<集団の価値観や倫理に順応する思考態度>」という意味がある。

ウィキペディアには、「集団浅慮」という表現もあるが、ウィキペディアのフランス版では「羊的思考」、さらには「集団的無思考」と規定されている。

ひとつの集団が何かを決めようとするとき、
「順応」が優先され、「羊のような従順」が原理になるということである。 

他方、最近の欧米のマスメディアには、「フィルター・バプル」ということぱが見られる。

これはアメリカの心理学者イーライ・パリサーが、著書『フィルターバブル』において示した概念である。

「フィルター・バプル」は、「情報濾過装置」といった意味である。

自分にとって都合の悪い情報を最初から排除してしまうことで、個人にも集団にも妥当する。

いまや、われわれはいたるところで「情報濾過装置」を作動させて、自分たちに不都合な情報をカットし、その結果「羊的思考」に陥っているのではないだろうか。


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